東京地方裁判所 昭和61年(ワ)2727号 判決 1989年2月23日
原告 飛田野満
被告 国
代理人 波床昌則 石原秀 ほか五名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金一万九六四七円及びこれに対する昭和六一年三月一四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 不当利得返還請求
(一) 原告は、被告が保険者である政府管掌健康保険の被保険者である。
(二) 原告は、昭和六〇年一〇月ころから同年一二月にかけて東京都知事の指定を受けた保険医療機関である新日比谷清藤歯科において、健康保健被保険者証を提示のうえ、歯科の治療を受け、金属床を用いた一床六歯の義歯を作製してもらつて、その調整を受けた(金属床を用いた義歯による欠損補綴。以下「本件歯科治療」という。)。
(三) 原告は、前項の治療について、治療代金として金二〇万円を新日比谷清藤歯科に対して支払つた。
(四) 健康保険は、保険者(本件においては政府すなわち被告)が業務外の事由による疾病、負傷若しくは死亡又は分娩に関し保険給付をなすことを目的にしており(健康保険法(以下、単に「法」ということがある。)一条一項)、被保険者の疾病または負傷に関しては、次の療養の給付がなされることになつている(法四三条一項)。
1 診察
2 薬剤又は治療材料の支給
3 処置、手術その他の治療
4 病院又は診療所への収容
5 看護
6 移送
(五) 原告が請求原因1(二)で受けた本件歯科治療には、次の1ないし10の治療行為が含まれ、このほか金属床の材料についても費用を伴うものである。
1 補綴時診断
2 印象採得
3 咬合採得
4 咬合検査(チエツクバイト)
5 仮床試適
6 一床六歯義歯の作製及び装着(遊離端処理を含む。)
7 人工歯(陶歯)二組の作製
8 鋳造鉤(小臼歯)二個の作製
9 鋳造鉤(大臼歯)一個の作製
10 咬合音検査(デンタル・サウンド・チエツカー)
(六) 法四三条の九は、保険医療機関が療養の給付に関し保険者に請求することができる費用の額に関して定めているが、同条二項によれば、具体的な費用の額は、厚生大臣の定めるところによつて算定されるものとされている。
厚生大臣は右の規定に基づき、昭和三三年六月三〇日厚生省告示第一七七号「健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」(以下「点数表」という。)をもつて具体的な費用の額を定めた。点数表は、その後度々改正され、本件歯科治療が行われた当時に適用されるべきものは、昭和六〇年二月一八日厚生省告示第一五号による第一九次の改正を経たものである。
歯科診療については、点数表の別表第二歯科診療報酬点数表により、「療養に要する費用の額」が算定されることになつている。
(七) 保険医療機関は、点数表に従つて算定した「療養に要する費用の額」より「一部負担金に相当する額」を控除した額を保険者に請求することができる。
したがつて、点数表の別表に記載された診療等は、健康保険法により保険給付すべき範囲の療養ということになるところ、同別表には、請求原因1、(五)の1ないし10の治療行為がすべて記載されているので、これらの診療行為は、被告において保険給付すべき療養である。
(八) 本件歯科治療を構成する治療行為のうち保険給付外材料である金属床の材料を除く各治療行為等について、対応する点数表の別表中に記載された当該診療行為等の点数は、次のとおりである。
1 補綴時診断 一〇〇点
2 印象採得 一一〇点
3 咬合採得 三〇点
4 咬合検査(チエツクバイト) 四〇〇点
5 仮床試適 三〇点
6 一床六歯義歯(装着料を含む。) 四六〇点
遊離端加算 五〇点
7 人工歯(陶歯。二組の材料料。) 一〇四点
8 鋳造鉤(小臼歯。二個の材料料を含む。) 四五六点
9 鋳造鉤(大臼歯。一個の材料料を含む。) 二四三点
10 咬合音検査(デンタル・サウンド・チエツカー) 二〇〇点
以上合計 二一八三点
なお、右のうち材料料は点数表上明記されていないが、別途請求することが認められている。
保険医療機関が保険者に対して請求できる金額は、点数表上の一点を一〇円として計算することになつているので、本件歯科治療のうち保険給付の対象となるべき治療行為を金銭に換算すると金二万一八三〇円相当である。右金額から被保険者が負担する一部負担金(一割)を控除した残額は、金一万九六四七円である。請求原因1、(三)に記載した原告支払いの金二〇万円には、その金額が含まれている。
(九) 被告は、健康保険法上本来被保険者に保険給付すべき療養である請求原因1、(五)の1ないし10のような義歯に関する治療行為について、何ら適正な根拠なく、一部に保険給付外の材料を用いた場合には、その治療すべてを保険給付外とする行政指導(以下「本件行政指導」という。)を行い、被保険者に対する療養の給付を拒んでいる。
被告は、健康保険の保険者であつて、被保険者たる一般国民から健康保険制度の運営に充てるべき資金として保険料を徴収する一方で、その反対給付として被保険者の健康保持増進上妥当適切な診療を給付すべき義務を負つている。健康保険制度の公共性、及び保険者たる被告が国であつて一般国民からその制度を適正に運営することを付託されていることを考えれば、右義務に基づく給付内容は、被保険者間でバランスを失することがないよう、被保険者間の公平を旨として決定すべきは当然であり、公的な保険給付制度のもとにおいて、被保険者間に不平等を来すようなことはあつてはならない。
しかるに、被告の本件行政指導の結果、金属床義歯の作製・装着の過程において、歯科医師により行われる治療行為の大部分が保険給付の対象となつているレジン床義歯における治療行為と同内容のものであるのに、ごく一部に保険給付外の医療行為が行われたため、大部分を占める保険給付されるべき治療行為がその保険給付外診療行為に吸収され、全体として保険給付外診療という取扱いを受けることになる。
これでは、全く同じ内容の医療行為を受けながら、ある被保険者は当該医療行為を保険給付され、別の被保険者はそれを保険給付されないということになる。このような事態は、被保険者間の公平を欠き、不公正であることは明らかである。
右の本件行政指導は、右の意味において健康保険法の目的に反し、また治療を必要とする被保険者に何らの保険給付も与えないものであるから、被保険者の受給権を奪うものであつて、同法に反し、違法なものである。
(一〇) 被告は、本件歯科治療のうち本来なすべき金二万一八三〇円相当の療養の給付を免れたことにより、原告は、その金額相当の金銭の支払いをやむなくさせられた。この結果、被告は、右同額から被保険者が負担する一部負担金を控除した金一万九六四七円を不当に利得している。
2 損害賠償請求
(一) 損害の発生及び損害額
(1) 請求原因1の(一)ないし(九)に同じ。
(2) 被告が本件歯科治療のうち本来なすべき金二万一八三〇円相当の療養の給付を免れたことにより、原告は、その金額相当の金銭の支払いをやむなくさせられた。その結果、原告は、右金二万一八三〇円から被保険者として原告が負担すべき一部負担金を控除した金一万九六四七円の損害を被った。
(二) 因果関係
原告が被つた右損害は、被告がなした本件行政指導が原因で発生したものである。
(三) 被告の責任
(1) 大部分が保険給付の対象となる治療行為がなされた場合において、その治療行為のほんの一部分に保険給付外診療行為とされている方法、材料が用いられたことを理由に、本来保険給付の対象となつている大部分の治療行為についての保険の給付を拒み、その治療行為すべてを保険給付外診療行為とすることは、明らかに不当であり、被保険者の利益を奪うものである。
(2) 被告は、本件のような義歯に関する歯科治療において、保険による療養の給付の対象となると自ら定めた治療行為が含まれていることを知悉している。
(3) 被告は、法が目的とする国民の保健の向上を目指し、被保険者たる国民の利益のため、健康保険行政を遂行する責務を負つているにもかかわらず、その不当性を明瞭に認識しながら、義歯に関する治療について、一部に保険給付外の材料を用いた場合にはその治療行為すべてを保険給付外診療行為とする本件行政指導を強力に行つてきた。
(四) したがつて、被告は、健康保険行政の本来の職務に反し、被保険者が被る不利益は明白であることを認識しながら、故意に、またはその不利益は極めて容易に判明するにもかかわらず、これに意を用いなかつた重過失により、被保険者たる原告に前記の損害を与えたものである。
3 結論
よつて、原告は被告に対し、不当利得返還請求権に基づき、または、国家賠償法一条に基づき、利得金または損害金一万九六四七円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年三月一四日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実について
(一) 請求原因1(一)の事実は認める。
(二) 同1(二)のうち、新日比谷清藤歯科が健康保険法四三条の三の規定に基づき、東京都知事の指定を受けた保険医療機関であることは認め、その余の事実は知らない。
(三) 同1(三)の事実は知らない。
(四) 同1(四)の事実は認める。
(五) 同1(五)の事実は知らない。ただし、一般に、六歯にわたる義歯の作製及び調整という歯科治療において原告主張の1ないし10の治療行為がなされ得ることは認める。
(六) 同1(六)の事実は認める。
(七) 同1(七)のうち前段は認め、後段は争う。原告主張の1ないし10の治療行為が保険給付となるのは、保険医療機関において保険医が健康保険の診療として右治療行為をなした場合に限られ、保険給付外である金属床を用いた義歯による欠損補綴を構成する治療行為としてなした場合には、保険給付とはならない。
(八) 同1(八)のうち、金属床の材料が保険給付外材料であること及び原告主張の1ないし10の治療行為についての各点数及び材料料の取扱い(ただし、8及び9の診療についての点数は、歯科材料として金銀パラジウム合金を使用した場合の点数である。)、点数表上の一点が一〇円として計算されること及び点数二一八三点が金二万一八三〇円に相当することについては認め、その余は争う。なお、原告が本件請求の算定の根拠とする点数表の点数は、保険給付の対象たるレジン床義歯を用いた場合のものであり、これと異なる具体的内容をもつ金属床義歯を用いた一連の診療行為について、レジン床義歯の場合の点数を借用するのは許されないというべきである。
(九) 同1(九)のうち、被告が、義歯に関する治療について、義歯に保険給付外の材料を用いた場合に、その治療のすべてを保険給付外とする本件行政指導を行つていることは認め、本件行政指導が根拠のない違法なものであるとの主張は争う。
後に詳述するとおり、健康保険法は、被保険者の疾病又は負傷に対する保険給付につき、現物給付としての「療養の給付」を原則としており、昭和五九年の同法の改正により右「療養の給付」を補充するものとして、「療養の給付」の範囲外の医療行為のうち厚生大臣によつて承認された療養についてのみ、例外的に金銭給付を建前とする特定療養費制度が導入された。しかし、「療養の給付」の範囲外の医療行為である本件のような金属床を用いた義歯による欠損補綴については、いまだ特定療養費の対象となる療養とする旨の厚生大臣の定めはなされていない。しかも、法及び法に基づく命令(昭和三二年四月三〇日厚生省令第一五号「保険医療機関及び保険医療担当規則」、以下「療担規則」という。)に基づく健康保険制度上、右「療養の給付」は一連の医療サービスとして不可分のものと観念されるのであり、この「療養の給付」としてなされる一連の健康保険の診療の一部に保険給付外診療(自由診療)を混在させることは、制度上認められない。したがつて、本件のような場合は、その治療行為の全体の費用について患者が負担するほかないのである。
本件行政指導は、行政庁が、右のように、健康保険制度上保険診療と自由診療の混在は許されていないとの法令の解釈に基づき、日本医師会などを介して、開業している歯科医に対して行つているものであり、本件行政指導の具体的内容を示しているものは、「歯科領域における保険給付外治療の範囲等について」(昭和五一年七月二九日保文発第三五二号各都道府県民生主管部(局)保険・国民健康保険課(部)長宛厚生省保険局歯科医療管理官通知。以下「五一年管理官通知」という。)であり、これによれば、保険給付外の材料等による歯冠修復及び欠損補綴は、当該治療を患者が希望した場合に限り、歯冠修復にあつては歯冠形成以降、欠損補綴にあつては補綴時診断以降を保険給付外の扱いとするものとされている。そして、五一年管理官通知は、現在においてもその効力を有し、本件行政指導も右通知に基づいて行われているものである。
昭和五一年に、それまで認められてきた差額徴収がすべて廃止され、差額徴収治療は保険給付外の取扱いとなつたが、後に前歯部の鋳造歯冠修復又は歯冠継続歯に金合金及び白金加金を使用する場合について例外的に差額徴収の取扱いを復活し、右例外的な取扱いが認められた以外の分野については、一般的な原則に従つて差額徴収が禁止され、その具体的取扱い方法は五一年管理官通知によるという扱いが続いているものである。そして右の二種類の療養が昭和五九年の法改正に伴い、特定療養費に係る療養として位置付けられた後は、明白な法的根拠をもつて、歯科領域における右の二種類の療養以外の療養(金属床義歯の作製も含まれる。)については、保険給付外の材料を用いた場合に差額徴収を行つてはならず、欠損補綴についていえば、五一年管理官通知のとおり補綴時診断以降が保険給付外の取扱いとなるのである。
(一〇) 同1(一〇)は争う。
歯科医は、患者との間で、健康保険法上給付を受けられる療養の給付を内容とする歯科治療に関する準委任契約を締結するか、あるいは、保険給付外の歯科材料を用いる代りにその治療過程すべてを含めて自由診療とする歯科治療に関する準委任契約(以下「自由診療契約」という。)を締結して、歯科の治療行為を行うこととなるのであるところ、歯科医師と患者がどのような内容の契約を締結するかは当該歯科医師と患者の自由な意思により決定されるものであつて、本件行政指導は右契約に直接関係するものではない。原告は、清藤歯科医師との間で自由意思に基づいて任意に締結した自由診療契約に基づき清藤歯科医師に二〇万円支払つたというのであるから、清藤医師との間で締結した自由診療契約上の診療報酬支払債務を履行したものに過ぎず、これにより原告が損失を被つたということはできないし、被告に利得が生じたということもできない。更に、原告が健康保険法所定の療養の給付を受けることができなかつたのは、原告が清藤歯科医師との間で、同法上給付を受けられる療養の給付を内容としない自由診療契約を締結したからにほかならないので、右利得と損失との間に因果関係も存在しない。
2 請求原因2の事実について
(一) 請求原因2(一)(1)の事実に対する認否は、前項の同1(一)ないし(九)に対する認否に同じ。
同2(一)(2)は争う。なお、前記の同1(一〇)に対する認否で主張したとおり、原告は何ら損害を被つていない。
(二) 同2(二)は争う。仮に原告に損害が生じているとしても、本件行政指導は開業している歯科医師に向けられたものであるところ、原告はあくまで自由な意思に基づき清藤歯科医師との間で自由診療契約を締結し、その診療報酬を支払つたにすぎないので、相当因果関係がない。
(三) 同2(三)及び(四)はいずれも争う。
3 請求原因3は争う。
三 被告の主張
1 本件行政指導の法的根拠
(一) 「療養の給付」と「健康保険の診療」
健康保険法は、四三条三項において、被保険者は「看護」及び「移送」を除く「療養の給付」について保険医療機関でこれを受けることができる旨を定めるとともに、四三条の二において、保険医療機関において「健康保険の診療」に従事する医師又は歯科医師は、都道府県知事の登録を受けた保険医であることを要する旨、四三条の四において、保険医療機関における療養の給付の担当につき、保険医療機関は、当該保険医療機関において「診療」に従事する保険医をして、療担規則の定めるところに従い「診療」に当たらしめるほか、自らも療担規則の定めるところに従つて療養の給付を担当しなければならない旨、四三条の六において、療養の給付を担当する保険医療機関において「診療」に従事する保険医の任務につき、保険医療機関において「診療」に従事する保険医は、療担規則の定めるところに従い「健康保険の診療」に当たらなければならない旨定めている。
ところで、医師又は歯科医師には、医師法一九条一項、歯科医師法一九条一項に、診療義務が定められているところ、ここにいう「診療」とは、診察と治療であり、医師又は歯科医師のなす傷病の治癒を目的とした一連の医療行為である。すなわち、医師又は歯科医師は、患者の治療に当たり、まず患者を診察してその傷病の状態及び原因を診断し、その診断を前提にして療法を選択し、その療法に従つて治療をなすのであり、この一連の行為を「診療」というのである。
一方、健康保険法上、保険医療機関が担当するものとされる療養の給付として列挙されているのは、「診察」とそれに基づく治療としての「薬剤又は治療材料の支給」若しくは「処置、手術その他の治療」又は「病院又は診療所への収容の指示」であり、これは、傷病の治癒を目的とした一連の医療行為、すなわち先にみた「診療」の内容を示すものにほかならない。
したがつて、保険医療機関が療養の給付を担当するということは、当然に当該保険医療機関において「診療」に従事する医師又は歯科医師をして療養の給付としての「診療」に当たらしめることを意味する。健康保険法はこの療養の給付としての「診療」を、「健康保険の診療」と表現し、「健康保険の診療」に従事する医師又は歯科医師を保険医と称しているのである。
(二) 現物給付としての「療養の給付」の不可分性
健康保険法の定める保険給付の原則は、法四三条で定める「療養の給付」であり、「特定療養費の支給」(法四四条)及び「療養費の支給」(同条の二)は、「療養の給付」を補充するものとして位置づけられる。そして、右「療養の給付」とは、傷病の治癒を目的とした一連の医療サービスの給付であり、不可分なものとしての現物給付なのである。
「療養の給付」の制度とは、被保険者がその疾病、負傷等の保険事故につき、定められた「一部負担金」さえ支払えば、それ以外の負担を必要とせずに、傷病の治癒のために必要な一連の医療サービスの給付を保障されるというものであり、その一連の医療サービスを構成する個々の医療行為を個別に取り出して、それぞれ独立に給付することは予定されていない。仮に、これが認められるとすれば、本来保険給付される一連の医療サービスの中から、それを構成する医療行為の一部のみを取り出して自由診療(保険給付外診療)の対象とすること、すなわち、原告主張のように、健康保険の診療と自由診療とを混在させることが可能となるのであるが、このような混在は、療養の給付の制度上認められない。なぜなら、これを認めるとすれば、被保険者は、定められた「一部負担金」のほかに自由診療についての費用の負担を余儀なくされ、自己の傷病についての診療に関し医療機関と対等な立場において合意することが困難な患者として、極めて不安定な状況に置かれることになるのであり、定められた「一部負担金」さえ支払えば、それ以外の負担を必要とせずに、傷病の治癒のために必要な一連の医療サービスの給付が保障されるという制度の趣旨が没却されることとなるからである。
したがつて、「療養の給付」を担当した保険医療機関に対して保険者が支払う報酬の額は、右一連の医療サービス全体に対する報酬額であり、その報酬額を算定するために定められている点数表も、右一連の医療サービスを全体として評価することを目的としており、一連の医療サービスを構成する個々の医療行為に対する報酬を個別に規定しているものではない。
(三) 健康保険法の趣旨及び委任規定
健康保険制度は、被保険者又はその被扶養者の疾病、負傷等の保険事故が国民生活上重大な脅威になるものであり、かつ、不時に発生するこれらの事故に対処するために自力で経済的な備蓄に努めることには困難があるところから、平素の収入のうちから一定額を保険料として拠出し、これと国庫負担分、患者負担分を財源として診療に当たることにより、国民の生活安定に資することを目的として設けられた制度である。右制度趣旨に基づき、現行保険制度においては、被保険者は、定められた一定の自己負担金さえ支払えば、それ以外の自己負担は必要とせずに、ある傷病に必要な一連の医療サービスの給付を受けられるものとされている。
ところで、健康保険法は、右制度趣旨のもとで、保険診療の対象となる「療養の給付」の内容、範囲、「療養に要する費用の額」の算定方法を行政庁の定めるところに包括的に委任している(法四三条の四第一項、四三条の六第一項、四三条の九第二項)。法が右の広範な委任規定をおいた趣旨は、主として、個々の傷病についての「療養の給付」の内容と範囲については、それが個別具体的かつ専門技術的な判断を要し、しかも医学の進歩に伴い変化するものであるため、法令によつてそのすべてを明らかにしておくことは不適当ないし性質上不可能ともいえるので、右法令自体、専門家である行政庁の命令によりその内容を補充することとしたものと解され、また「療養に要する費用の額」についても、主として医療技術の進歩とその的確な評価という観点から高度の専門技術的判断が要請されるところから、その基準作りを行政庁に委任したものと解される。
そして、法は、右の包括的な委任を前提に、行政庁が「療養の給付」の内容、範囲、「療養に要する費用の額」について命令、定めをしようとするときは、中央社会保険医療協議会(以下「中医協」という。)に諮問することとしている(法四三条の一四第一項)。したがつて、行政庁は、右の事項について、命令、定めをなすについては、中医協の審議、答申により手続的に適正が担保されるところから、法によつて与えられた裁量権を自由に行使できるものと解される。
(四) 療担規則の定め
法が「療養の給付」の内容と範囲について命令に包括的に委任したところに従い、厚生省は裁量権を行使して療担規則を定めている。その第二章(一二条ないし二三条)は、保険医が健康保険の診療に当たつて従うべき事項、すなわち、療養の給付の内容にかかわる事項の定めである。
(1) 健康保険の診療
療担規則一二条は「保険医の診療は、一般に医師又は歯科医師として診療の必要があると認められる疾病又は負傷に対して、適確な診断をもととし、患者の健康の保持増進上妥当適切に行わなければならない。」と定め、健康保険の診療の一般的方針を示している。右規定は、保険医が医師又は歯科医師として診療の必要があると認める傷病に対して、保険医の医師又は歯科医師としての適確な診断に基づき、保険医が医師又は歯科医師として患者の健康保持増進上妥当適切と判断した一連の医療行為が保険給付されることを示している。
(2) 禁止事項
療担規則一八条は、特殊な療法又は新しい療法等は、厚生大臣の定めるもの(ただし、これについての厚生大臣の定めは現在存在しない。)のほか保険給付されないことを、療担規則一九条一項は、厚生大臣の定める医薬品(薬価基準の別表に収載されている医薬品等)以外の医薬品は保険給付されないことを、同条二項は、厚生大臣の定める歯科材料(歯科材料価格基準の別表に収載されている歯科材料)以外の歯科材料を使用した歯冠修復及び欠損補綴は保険給付されないことをそれぞれ明らかにしている。
医師又は歯科医師が診療の必要があると認める傷病につき、患者の健康保持増進上妥当適切と判断する医療行為のうち保険給付されないのは、すなわち、保険給付外診療とされているのは、療担規則一八条及び一九条において禁止されている医療行為だけであり、他には存在しない。
(3) 保険給付外診療の位置付け
療担規則は、保険医として健康保険の診療を開始した者が、自由診療として療担規則一八条及び一九条の禁止する療法等(以下「特殊療法等」という。)をなすこと、すなわち、保険医の当該患者に対する診療(傷病の治癒を目的とする一連の医療行為)に健康保険の診療と保険給付外診療である自由診療とを混在させること(以下「混合診療」という。)を禁止していると解すべきである。なぜなら、療担規則一八条及び一九条は、療担規則が療養の給付を健康保険の診療という傷病の治癒を目的とした一連の医療行為として据えていることを前提にして、右一連の医療行為の過程において特殊療法等がなされることを禁止しているところ、右一連の医療行為のうちから特殊療法等の部分のみを取り出して自由診療としたとしても、全体として眺めれば健康保険の診療の過程に特殊療法等がなされていることに変わりはないのであり、かかる便法を認めたのでは右禁止の趣旨が潜脱されることになるからである。
療担規則一八条及び一九条における禁止の趣旨が右のとおりであることは、昭和五九年の改正により明確にされた。すなわち、昭和五九年に「特定療養費」の制度が導入されたことに伴い、療担規則一八条但書、一九条二項但書及び三項が新たに付け加えられたのであるが、右改正は、「療養の給付」としては支給されない診療行為(保険給付外診療)のうちの一部が、健康保険の診療との混在を前提として「特定療養費」の対象とされたことに伴い、右「特定療養費」の対象となる保険給付外診療行為について療担規則一八条及び一九条の禁止を解除する必要があつたためになされたのである。仮に、改正前の療担規則一八条及び一九条の禁止の趣旨が自由診療として保険給付外診療行為をなす場合に及んでいなかつた(すなわち右の混在を許容するものであつた)ならば、「特定療養費」の制度が新設されたからといつて療担規則一八条及び一九条を改正する必要はなかつたのであり、右改正がなされたということは改正前の療担規則一八条及び一九条が自由診療としてであつても保険給付外診療を健康保険の診療と混在させることを禁止していたことを意味するものである。
(五) 制度上の概念としての「一連の医療行為」
自由診療(保険給付外診療)と保険診療の混在が許されない単位としての「一連の医療行為」という概念は、制度上のものである。通常は有床義歯の製作といつた医学的常識的な一まとまりの行為と一致するが、別途の必要性があれば、この二つが食い違うことも例外的に存在する。この例が即日充填処置に金インレーを用いた場合である。即日充填処置については、患者にとつて一日で処置から充填まで済ませた方が便宜であろうとの政策判断により、医学的には二つのまとまりの行為である処置と歯冠修復(充填)にまたがつて極めて例外的な点数設定を行つている。このため金インレーを用いた場合には、歯冠修復の冒頭段階に当たる歯冠形成までを即日充填処置として保険給付の対象とし、その後の治療行為、すなわち歯冠修復のうち印象採得後の治療行為を自由診療としているものであり、混合診療的な取扱いとなつているが、これは、特殊限界事例について、合理的な政策判断により例外的な点数設定を行つているためであつて、被告主張の「一連の医療行為」、「混合診療禁止」論の破綻を示すものではない。
(六) まとめ
以上のように、本件行政指導は、健康保険法及び療担規則にその根拠を持つものであつて、行政庁が法令の解釈から導き出されるものと考えるところのものを歯科医に対して示しているものであるから、適法な行政指導である。
2 行政裁量論
(一) 本件行政指導の専門技術的、政策的性格
(1) 本件行政指導は、個々の傷病についての療養が、保険診療の対象としての「療養の給付」の内容に含めてよいかどうかの判断自体に専門技術的な判断を要することに加え、「療養に要する費用の額」について、現行の点数表においては、個々の項目ごとにばらばらに額が定められるのではなく、一連の診療行為について、全体としての技術料の適正な評価を念頭において高度な専門技術的判断を加えて各項目の点数が設定されていることなどを考慮に入れて、実施されているものである。
(2) また、現在、健康保険等の保険診療に係わる費用、すなわち医療保険医療費の総額は年額一六兆円余に達しており、国家財政上極めて重要な政策課題の一つになつている。被保険者の一部負担金だけでなく、保険者の国庫負担金も結局は保険料や租税を通じて国民の負担に帰着する点で、国民生活とも深い関係を有している。その医療保険医療費の内容や価格を定める療担規則や点数表の制定、改変には、中医協の審議、答申を経た上で行政庁が高度な政策的判断を加えることが必要とされる。
(3) 保険給付の対象である「療養の給付」に関し、健康保険の被保険者等に係る診療報酬については、特殊法人である社会保険診療報酬支払基金の各都道府県支部において、また国民健康保険の被保険者等に係る診療報酬については、各都道府県の国民健康保険団体連合会において、それぞれ審査、支払を行つている。その事務処理は膨大であるので定型的な事務処理が不可欠であり、そのためには、法令を根拠として、診療内容から、費用の算定方法、明細書の記載方法に至るまでの細則を厚生省において画一的に定め、これにより医療機関が請求することが必要となる。
(4) 以上のとおり、有床義歯について保険給付外の材料を使用した場合に、どこまでを保険給付の対象とし、どこからを自由診療とするかといつた本件行政指導が取扱う問題は、画一的、定型的な処理を必要とする膨大な事務処理体制を念頭においた上で、極めて専門的かつ技術的な判断を要すると同時に高度な政策判断も必要とされる。このため、健康保険法は、行政庁が保険者・被保険者の代表八名、医師・歯科医師・薬剤師の代表八名、公益代表四名の三者構成をとり、広く関係者から意見を聴しうる中医協に諮問したうえで、右判断を行うこととしているのである。本件行政指導は、中医協で承認され、行政庁が専門技術的判断及び政策的判断を働らかせて、行政裁量権を行使した結果としてなされたものである。
(二) 裁量権の濫用、逸脱の不存在
(1) 差額徴収及び混合診療の弊害
医療の現場において、患者は傷病を抱えており、医師の診療いかんによつてその傷病から逃れることができるかどうかが決まるため、一般に患者は医師に対する立場が弱く、医師が不当なことを行つても泣き寝入りせざるを得ないという本来ありうべからざる事態が、遺憾なことに現実には存在する。差額徴収を認めていた時代には、患者は、被保険者証を提示したから保険がきく診療であると思つていたのに、自分が知らないうちに医師に勝手に保険外診療を施され、差額徴収をされた上に文句の一つも言わせてもらえない、あるいは、実際にやつているのは保険診療なのに、医師の恣意的判断により無理やり何らかの名目をつけて差額徴収される等のトラブルが発生し、差額徴収は不正、不当の温床となり、いわゆる差額ベツド問題を初めとして大きな社会問題になつた。
このため、被告は、昭和五一年に差額徴収をいつたん全面的に禁止し、差額徴収の対象を限定することにより、右の弊害を未然に防いできた。被告としては、こうした過去の問題が、一つには法律上の明文の根拠なしに厚生省の通知により差額徴収を認めてきたことに原因があるとの反省に立ち、かつ、他方では療養の給付の対象外とされている医療行為に対する国民のニーズに柔軟に対応するため、昭和五九年に健康保険法を改正し、特定療養費制度を設け、差額徴収の対象を限定し、これをコントロールしていくこととしたのである。
ちなみに、本件のような金属床義歯を用いた欠損補綴については、金属床義歯が、保険給付の対象となるレジン床に比べ著しく費用がかかり、審美性、快適性を追求する要素が強い等の理由から療養の給付の対象外とされている。これを特定療養費の支給の対象となる療養とする旨の定めをすることは可能ではあるが、それには必ず保険者の支払額の上昇を招くのであるから、その決定については、必要性と保険財政上の負担の増加等が総合的に考慮されなければならない。被告としても、近時の患者のニーズの多様化等に対応して必要な規制の下に保険診療における患者の選択の余地を拡大する必要性は認めており、特定療養費制度導入後もその対象の拡大に努力し、昭和六三年六月には歯科の診療報酬改定も行われたが、歯科については、差額徴収の範囲の拡大は行われなかつた。金属床義歯については、総合的観点から、いまだこれを保険給付の対象とする必要性が認められなかつたためである。
(2) 被保険者間の公平及び財源問題
金属床義歯とレジン床義歯を患者の側からみた場合、その違いの多くは熱の伝導性、口腔内の違和感、口腔への密着性といつた使用上の快適性の違いであり、欠損歯の補綴という保険診療が本来対象としている傷病の治癒とは別個の次元の問題である。両義歯の補綴時診断、印象採得などの各過程及びその内容にある程度の類似性があることは否定しえないとしても、かかる違いのある金属床義歯の使用をあえて申し出た者にその各過程の費用を負担させたとしても、直ちに不公平とはいえない。
また、健康保険の給付は、一品のみの差し換えはたとえ他の料理の内容が同一又は類似であつても許されないいわば「定食」的なものであるから、そのことを歯科医師から知らされ、製作過程に要する費用を全部支払うことを了解した上で金属床義歯をいつたん希望した者が、保険給付として用意されているサービスに甘んじている一般国民の租税を費消しようとすることは、かえつて財源的にみて妥当なものとはいえない。
そして、金属床義歯は口腔への適合が悪くなつてもリベースなどが行いにくいものであり、勢い再製作されることも十分考えられ、このような面からも財源的に好ましいものではない。
(3) まとめ
以上のとおり被告は、本件行政指導に係る取扱いが否定された場合に生ずる弊害を、類似する種々の場合にわたつて総合考慮して本件行政指導をなしているのであつて、その判断に裁量権の濫用ないし逸脱はなく、本件行政指導は適法なものである。
四 被告の主張に対する原告の反論
1 本件行政指導の法的根拠について
(一) 療担規則について
療担規則の根拠となる健康保険法四三条の四第一項、同条の六第一項から明らかなように、両条項及び療担規則は保険医療機関及び保険医に対する命令であつて、被保険者の診療の給付を受ける権利には何らの関係もない。特に療担規則は、被保険者が健康保険により診療の給付を受けることができることを当然の前提として、給付の内容、質を一定に保ち、患者たる被保険者の健康保持増進に支障がないよう制度を運用するため、給付の実施に当たる保険医等に診療内容の指針を与えるに過ぎないものである。したがつて、療担規則の定めをもつて被保険者の受給権の存否を決定するとすれば、それは、上位の法律の定めを下位の省令で変更するに等しく、法律制度の建前を無視する逆転した法の運用である。
(二) 一連の医療行為論について
多くの医療の実態が一連のものと把握されるという限りにおいて、「一連」の医療行為という考え方は正当であろうが、これが、保険給付されるべき診療が一連のものでなければならないという法の定めになつているという意味だとすれば、それは誤つている。医療行為を一連と据える明文の規定は存在しないし、そのように医療行為を据えなければならないと推測させる文言も存在しない。
(三) 療担規則改正の趣旨について
改正後の療担規則一八条但書に掲げられたのは、いわゆる高度先進医療であるが、この高度先進医療が、「特殊な療法」であり、かつ「新しい療法」であることは明らかである。高度先進医療を、医師が、保険医として行うことは、旧療担規則一八条の禁止に触れ、保険医は、これを行うことができない。そこでこの禁止を解除し、高度先進医療を保険医が行える道を開こうとしたのが、右改正の眼目である。
療担規則一九条二項但書及び三項の新設も、同様に医薬品・歯科材料の質を高めようとの趣旨に出たものである。
これらの改正は、給付内容の拡大の方向に採つてきた従来の保険制度の流れに沿つて、従前保険給付外診療又は保険給付外医薬品・歯科材料とされていたものを、特定療養費という限定的な形ではあるが、新たに保険給付の対象に加えたものであつて、保険診療と保険給付外診療の混在についての禁止を、高度先進医療等についてのみ解除したというものではない。要するに、療担規則の改正は、単に保険医が採用できる療法についての禁止を、高度先進医療等には及ばないとしただけであつて、それ以上に、混合診療禁止の解除という意味を持たないのである。
(四) 自由診療との混在禁止論について(差額徴収制度及び即日充填処置)
被告は、療養の給付の一連性、不可分性、療担規則の定めないしは同規則の昭和五九年の改正を根拠に、保険診療と自由診療の混在禁止論を主張するが、無理な議論といわざるを得ない。現に、被告は、かつて昭和三〇年から同五一年までの間、保険給付されるべき歯科材料以外の材料を治療に用いた場合において、その歯科材料の価額と保険で認められた材料との差額のみを被保険者から徴収し、同種の治療について保険給付されることになつている歯科材料相当額は、保険給付の対象としていた。この差額徴収制度は、被告自らが健康保険制度を運用するに当たり、保険診療と保険給付外診療の混在を正面から認め、保険給付外診療が混在した場合においても、なお保険給付さるべき診療については保険給付の対象とするだけでなく、保険給付外診療についてさえも同種の保険診療に相当する金額を支払つていたことを示すものである。被告が、法の定めるところに意識的に違反するようなことはありえないことであろうから、従前右のような運用をしながら、なぜ現時点において、保険診療と保険給付外診療との混在は法によつて禁止されていると主張するのか、極めて不可解である。
昭和五一年当時、世間では「歯科の自由診療があまりに高額である」との指弾がなされていたが、被告はかかる社会的な批判に応えるという形で歯科差額徴収制度を廃止し、その結果、一部歯科医師の不祥事と全く関係のない、保険から本来給付を受けるべき診療費部分をもカツトし、被保険者の権利である受給権を奪つてしまつたのである。
また、現行健康保険制度上、即日充填処置に金インレーを用いた場合、「歯冠修復」という「一連の治療行為」の中に健康保険の診療と自由診療とが混在することになるが、このような保険給付方法が設けられていることからみても、混合診療禁止に根拠がないことが明らかである。
(五) まとめ
以上のとおり、本件行政指導に法的根拠はないことは明らかである。
2 裁量権の濫用、逸脱
(一) 本件行政指導の専門技術的、政策的性格について
金属床義歯の作製・装着の場合を取り上げても、保険給付の対象となつている治療行為と共通する治療行為の費用額等は比較的明らかに判断することが可能であり、割り切つて臨みさえすれば、単純な思考になじむものであつて、専門技術的な判断を要しない。
また、かつて差額徴収の対象となつていた当時のことを考えれば、診療報酬の審査・支払いの事務処理が膨大であることが理由にならないことは明らかである。
更に、政策的判断を要するからといつて、制度の基本的な目的を無視してよいということには決してならない。
療養の給付は、被保険者すべてに対して平等に公平を旨として与えられなければならず、この被保険者間の公平ということも、健康保険制度の重要な基本目的である。保険給付される診療と保険給付外診療との混在禁止を理由として診療すべてを自由診療扱いとし、一切の保険給付を拒む本件行政指導により、レジン床義歯の作製・装着を受けた被保険者に比べて、金属床を選択した被保険者が不利益に扱われていることは明らかであり、前記の制度の基本目的である被保険者間の公平に反している。
原告は金属床の保険給付を求めているのではなく、レジン床相当の材料費の給付を求めているのでもない。金属床義歯の作製、装着を構成する治療行為のうちには、保険給付の対象となつているレジン床義歯の作製、装着を構成する治療行為と全く同一と評価できる治療行為が多数混じつているので、その同一と評価される治療行為はこれを保険給付すべきであるというにとどまる。この意味で、本件請求は、欠損補綴における金属床義歯を特定療養費制度の対象であるかの如く取り扱うことを要求するものではないのである。
(二) まとめ
以上のとおり、被告の主張する行政裁量権は、その内容において極めて不適切であり、本件行政指導は被告のなし得る行政裁量の範囲を越えたものといわざるを得ない。
第三証拠関係<略>
理由
一 原告の受けた治療
請求原因1(一)の事実(原告が政府管掌健康保険の被保険者であること)及び同1(二)のうち新日比谷清藤歯科が、健康保険法四三条の三により東京都知事の指定を受けた保険医療機関であることは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、原告は、昭和六〇年一〇月から同年一二月ころにかけて、右新日比谷清藤歯科において、本件歯科治療、すなわち、金属床を用いた一床六歯義歯の作製・装着の診療を受け、治療代金二〇万円を新日比谷清藤歯科に支払つたこと(請求原因一(三))、本件歯科治療は、次の治療行為、すなわち、
1 補綴時診断
2 印象採得
3 咬合採得
4 咬合検査(チエツクバイト)
5 仮床試適
6 一床六歯義歯の作製及び装着
遊離端の処理(金属床の材料を含む。)
7 人工歯(陶歯)二組の作製
8 鋳造鉤(小臼歯)二個の作製
9 鋳造鉤(大臼歯)一個の作製
10 咬合音検査(デンタル・サウンド・チエツカー)から成り立つていること(請求原因一(五))が認められる。
二 被告の行政指導と本件歯科治療
請求原因一(九)のうち、被告が、本件行政指導(義歯に関する治療について、義歯に保険給付外の材料を用いた場合に、その治療のすべてを保険給付外とする行政指導)を行つていること、請求原因一(八)のうち、本件歯科治療に含まれる金属床が保険給付外の材料であることは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、原告は本件歯科治療を受けるに先立つて、新日比谷清藤歯科の窓口に健康保険被保険者証を提示したが、新日比谷清藤歯科としては、本件歯科治療につき保険者たる被告に保険診療報酬請求をせず、すなわち、本件歯科治療をすべて自由診療(保険給付外診療)として行つたことが認められ、以上の事実を総合すれば、新日比谷清藤歯科は、本件行政指導に従つた結果、自由診療として本件歯科治療を行つたことを推認することができる。
三 本件歯科治療と点数表との関係
1 本件歯科治療と点数表の算定区分との対応関係
請求原因一の(六)ないし(八)のいわゆる点数表について検討するに、本件歯科治療を構成する前記一で認定した各治療行為(ただし、義歯床の材料を除く。)は、本件歯科治療がなされた当時に適用がある昭和六〇年二月一八日厚生省告示第一五号による改正を経た点数表別表第二「歯科診療報酬点数表」の算定区分(<証拠略>)によれば、右点数表と、次のとおり一応の対応関係がある。
(一) 補綴時診断 区分三〇〇
(二) 印象採得 区分三〇二
(三) 咬合採得 区分三〇四
(四) 咬合検査(チエツクバイト) 区分一二二
(五) 仮床試適 区分三〇五
(六) 一床六歯義歯の作製及び装着(遊離端の処理を含む。) 区分三〇三及び区分三二一
(七) 人工歯(陶歯)二組の作製 区分三五〇
(八) 鋳造鉤(小臼歯)二個の作製 区分三二二及び区分三五〇
(九) 鋳造鉤(大臼歯)一個の作製 区分三二二及び区分三五〇
(一〇) 咬合音検査(デンタル・サウンド・チエツカー) 区分一二〇
2 レジン床義歯と金属床義歯の治療行為上の異同
ところで、被告は、請求原因一(八)に関して、原告が本件請求の算定の根拠とする点数表の点数は、保険給付の対象たるレジン床義歯を使用した場合のものであり、金属床義歯を用いた一連の治療行為と具体的内容において異なる旨主張するので、この点について検討する。
<証拠略>によれば、金属床は我が国の臨床歯科領域において既に数十年の実用歴があり、レジン床と比べ、堅ろう性に優れ、また薄く製作できることと熱伝導率が高いことから口腔内での異和感が少なく、快適性に優れていることが認められる。
また、<証拠略>によれば、次の各事実が認められる。
(一) 金属床の材料費自体は、金合金、白金加金を使用する場合は別として、通常使用されるニツケルクロム合金、コバルトクロム系合金を使用すれば、保険給付の対象となるレジン床の場合とそれほど差がないのに対し、製作技術に関しては、レジン床義歯の製作が、通常一〇〇度の熱を加えると硬化する合成樹脂が使用されるため簡単であるのに比較して、金属床義歯の製作の場合には、鋳造法あるいは圧印法によるため相応の装置を要し、製作方法としても高度の技術を要すること。
(二) レジン床義歯を使用する場合と金属床義歯を使用する場合とでは、補綴時診断において、レジン床、金属床のもつ長所・短所の違いにより、どのような設計をすれば短所を補えるかを考慮する際に、考慮する内容が異なるが、考えるという行為自体には差がないこと。
(三) 印象採得については、レジン床か金属床かの材料の差により異なる場合があるが、それは、比較的容易に修理、補修ができるレジン床に対し、金属床はいつたん粘膜面と合わなくなつた場合に修理しにくい性質があるので、口腔内の粘膜を正確に再現すべき程度に差があるというものであり、その差は大きくないこと。
(四) 鋳造鉤については、レジン床か金属床かの違いにより、製作技術に差があるが、鉤としてみれば、同じ範疇に属すること。
(五) 咬合採得、咬合検査、仮床試適、人工歯及び咬合音検査については、レジン床義歯の場合でも金属床義歯の場合でも違いはないこと。
以上の各事実によれば、レジン床義歯による欠損補綴と金属床義歯による欠損補綴につき、義歯床の材料を除く、これを構成する各治療行為を比較すると、義歯床の材料差により、高度の技術を要する場合あるいは治療行為の具体的内容が多少異なつてくる場合があるが、そのような場合であつても、各治療行為の外形を把握して比較すれば、または、各治療行為について同じ範疇に属するかという観点から比較すれば、結局レジン床の場合と金属床の場合とで各治療行為に大差はないものと評価することができるというべきである。
証人光安一夫は、レジン床の場合と金属床との場合で各治療行為は同じである旨証言するが、前認定の事実に照らせば、同証人も右認定の観点から治療行為の同一性を証言しているものということができ、前記認定を覆するに足りない。
四 本件行政指導の適法性について
1 健康保険制度の仕組み
本件に関連する健康保険制度の仕組みの概要は、健康保険法、療担規則及び関係法規によれば、以下のとおりである。
(一) 健康保険制度の目的
健康保険は、保険者(政府又は健康保険組合、法二二条)が被保険者の業務外の事由による疾病、負傷、死亡又は分娩及びその被扶養者の疾病、負傷、死亡又は分娩に関して保険給付をすることを目的としている(法一条一項)。
(二) 保険給付の種類
法は、第四章において、被保険者に対する保険給付の種類、範囲、給付の手続等を定めているが、そのうち最も中心的な給付とされるのが、現物給付としての「療養の給付」(法四三条)であり、他に本件に関連するものとして、金銭給付の形式をとる「特定療養費」(法四四条)及び「療養費」(法四四条の二)を定めている。
(三) 療養の給付
被保険者の疾病又は負傷に関してなされる療養の給付の範囲について、法は、「診察」、「薬剤又は治療材料の支給」、「処置、手術その他の治療」、「病院又は診療所への収容」、「看護」、「移送」を掲げるのみで、その具体的内容については、療養に関する費用の額の算定方法を含め、行政庁の定めるところに包括的に委任している(法四三条一項、四三条の四第一項、四三条の六第一項、四三条の九第二項)。被保険者は、保険医療機関等のうち自己の選定するものから、被保険者証等を提出することにより(法施行規則四五条)、「看護」及び「移送」を除く療養の給付を受けることができる(法四三条三項)。なお、法四三条一項は、「療養の給付」から「其の者の選定に係る特別の病室の提供其の他の厚生大臣の定むる療養に係るもの」を除外している。これは、後に認定するとおり、昭和五九年の法改正により特定療養費制度(法四四条)が新設されたことに伴い、「厚生大臣の定むる療養」を受けた場合には、これを療養の給付から除外して特定療養費として支給することとした趣旨である<証拠略>)。
(四) 保険医療機関・保険医
保険医療機関は、都道府県知事の指定を受けた病院又は診療所であり(法四三条の三)、保険医療機関において健康保険の診療に従事する医師又は歯科医師は、都道府県知事の登録を受けた保険医であることを要する(法四三条の二)。そして、法は、保険医及び保険医療機関の任務につき、法四三条の六第一項において、保険医療機関において診療に従事する保険医は命令の定めるところにより健康保険の診療に当たらなければならない旨を、法四三条の四第一項において、保険医療機関は、当該保険医療機関において診療に従事する保険医師をして、前記命令の定めるところにより診療に当たらせるほか、自らも命令の定めるところにより療養の給付を担当しなければならない旨を定めており、右の委任規定に基づいて定められた厚生省令が療担規則である。
(五) 療養に要する費用
保険医療機関は、療養の給付に関し、「療養に要する費用の額」から被保険者等が支払うべき一部負担金(法四三条の八)に相当する額を控除した額を保険者に請求することができ(法四三条の九第一項)、右「療養に要する費用の額」は、厚生大臣の定めるところにより算定される(法四三条の九第二項)。右厚生大臣の定めが厚生省告示の点数表であり、点数表は、保険医療機関に係る療養に要する費用の額につき、一点の単価を一〇円として、点数表別表に定める点数を乗じて算定するものとしている(右の点数表の定めと費用の算定方法については、当事者間に争いがない。)。
(六) 療担規則の定め
療担規則は、第一章(一ないし一一条)において、保険医療機関が療養の給付を担当するに当たつて従うべき事項を、第二章(一二ないし二三条)において、保険医が健康保険の診療に当たつて従うべき事項を定めており、一般的方針として、保険医療機関が担当する療養の給付は、患者の療養上妥当適切でなければならない旨(二条二項)、保険医の診療は、一般に医師又は歯科医師として診療の必要があると認められる疾病又は負傷に対して、適確な診断をもととし、患者の健康の保持増進上妥当適切に行わなければならない旨(一二条)を定めている。また、療担規則は禁止事項として、「保険医は、特殊な療法又は新しい療法等については厚生大臣の定めるもののほか行つてはならない。」旨(一八条本文)、「保険医は、厚生大臣の定める医薬品以外の医薬品を患者に施用し、又は処方してはならない。」旨(一九条一項)及び「歯科医師である保険医は、厚生大臣の定める歯科材料以外の歯科材料を歯冠修復及び欠損補綴において使用してはならない。」旨(一九条二項本文)を定めている(なお、特定療養費制度の新設に伴う右一八条、一九条の改正については後記四、2、(七)参照)。
(七) 歯科材料価格基準
本件歯科治療行為がなされた昭和六〇年当時における、療担規則一九条二項本文の右「厚生大臣の定め」が、「保険医の使用歯科材料及びその購入価格(歯科材料価格基準)」(昭和六〇年二月一八日厚生省告示第二一号)である。同告示は、保険医の使用歯科材料を同告示の別表一及び別表二で定めているが、義歯床の材料として金属を認めていない。
したがつて、療担規則一九条二項本文、歯科材料価格基準の解釈上、歯科医師である保険医は、療養の給付として行う欠損補綴において金属床を使用してはならないこととなる(なお、成立に争いのない乙第四号証の一によれば、療担規則一九条二項本文は、中医協の答申、建議を受けてなされた昭和四二年の法改正によつて定められ、その際、併せて、点数表中歯冠修復及び欠損補綴に関しては、できる限り技術料と材料費を分離することとし、新たに右歯科材料価格基準が定められたことが認められる。)。
(八) 中医協
法四三条の一四第一項は、厚生大臣が、法四三条の四第一項、四三の六第一項の規定による命令(すなわち療担規則)を定めるとき又は四三条一項(療養の給付の範囲から除外する特定療養費の対象、範囲の定め)もしくは四三条の九第二項の定め(点数表)をするときなど、健康保険の療養の給付等に関する基本的な重要事項について、中医協に諮問するものとする旨を規定し、社会保険審議会及び社会保険医療協議会法一四条一項において、中医協は、これらの事項について、厚生大臣の諮問に応じて審議し、文書をもつて答申する外、自ら厚生大臣に文書をもつて建議することができる旨規定し、同法一五条において、その構成につき、保険者、被保険者、事業主等を代表する委員八人、医師、歯科医師及び薬剤師を代表する委員八人(<証拠略>によれば、関係団体等の推薦を受けて、慣例的に医師五人、歯科医師二人、薬剤師一人が厚生大臣により任命されている。)、公益を代表する委員四人と規定している。
2 差額徴収の沿革と特定療養費制度の新設
(一) 差額徴収の取扱い
<証拠略>によれば、歯科治療におけるいわゆる差額徴収については中医協の審議を経た上、昭和三〇年の厚生省保険局長通知「歯科補てつにおいて金合金を使用した場合の特例について」(同年八月一九日保発第五三号各都道府県知事宛)において、「患者又は第三者が金合金を使用する補綴(冠及び鈎)を希望した場合には、その使用は差支えないこと、この場合、その金合金使用による冠及び鈎の料金から歯科診療報酬点数表に定める補綴の所定点数(銀合金、金パラジウム銀合金又は線鈎但し一四カラツト鋳造鈎を必要とする症例について一四カラツト以上の金合金を使用した場合は鋳造鈎)を金額に換算した額を患者又は第三者から徴収してかまわないこと、社会保険診療報酬としての支払基金への請求は、右の所定点数によること」として、差額徴収の取扱いを認めたこと、その後、厚生省は、昭和四二年の法改正が依拠した中医協の答申、建議の趣旨に基づき、「診療報酬点数表の一部改正等について」(昭和四二年一一月一七日保発第四四号各都道府県知事宛厚生省保険局長通知)を発し、これによつて、金合金の他に、「白金加金、金属床及びポーセレンを使用する歯冠修復及び欠損補綴について及びダミー二歯を超えるブリツジ」についても差額徴収の取扱いを認め、その範囲を拡大したことが認められる。
(二) 差額徴収の取扱いに対する批判
<証拠略>によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(1) 昭和四〇年代後半、石油シヨツク以降の物価上昇と反面において診療報酬の改定が円滑に行われなかつたこと、とりわけ、歯科領域において点数表上技術料の評価が十分反映されていないとの不満が医療担当者側に強かつたこと等を背景として、差額徴収に関して、医療機関が患者側から徴収するいわゆる慣行料金(前記厚生省局長通知は必ずしも材料費差額に限定していなかつたため、技術料差額も含めて徴収することが慣行化していた。しかし、患者側ではその区別が必ずしも明らかでなかつた。)が高騰し、患者が差額徴収を慫ようされるといつた問題が生じた。実態としても、昭和四九年五月から一〇月までの半年間に都道府県の保険課及び都道府県歯科医師会が取り扱つた歯科診療についての苦情相談のうち約半数が差額徴収に関するものであり、昭和五〇年三月に厚生省の指導により整備、設置された苦情相談窓口が受け付けた同月分の苦情件数の約八割、質問相談件数の約四割が差額徴収に関するものであつた。この歯科領域における差額徴収に関する苦情・相談の主な内容は、「金額が高い。」「領収書がもらえない。」「保険は駄目だといわれ差額徴収治療を慫ようされた。」「前歯部は保険が効かないといわれた。」「ブリツジは保険が効かないといわれた。」「金は全て保険が効かないといわれた。」「歯冠修復、欠損補綴を装着した後のサービスが不十分である。」「契約時の金額と支払時の金額が異なつた。」「事前に何ら話がなく事後に差額が徴収された。」というものであつた。
(2) 東京都地域婦人団体連盟(都地婦連)においても、差額徴収の問題を取り上げ、昭和五〇年二月、歯科診療をめぐるトラブルにつき、歯の「一一〇番」として苦情を受け付けたところ、「料金が高い。」「保険はきかないとか、保険ではすぐ駄目になるといわれたり、医師が領収書をださない。」などの差額徴収についての苦情が約半数を占める結果となつた。また、民間企業の健康保険組合において、差額徴収の実態についてアンケート調査を行つたり、報道機関においても、差額徴収の問題について関心をもつて新聞報道するなど、昭和五〇年ころには、差額徴収に対する批判が社会問題化した。
(3) 右の事情を背景として、厚生大臣は、昭和四九年一〇月九日厚生省発保第八一号をもつて保険診療における歯科領域の差額徴収問題につき中医協に諮問したが、これを受けて中医協は、昭和五一年三月二三日、「(1)歯科の差額徴収は、歯科材料費のみに限ること、(2)このため、従前の差額徴収に関する局長、課長通達は廃止し、新たな取扱いを通達すること。(3)昭和四二年一一月一七日以降の高度の技術を伴う新開発技術点数等の設定は、三か月を目途として措置すること。」を答申した。
(三) 差額徴収の取扱いの廃止と昭和五一年管理官通知
<証拠略>によれば、厚生省は、右中医協の答申を受けて、厚生省保険局長通知「歯科領域における差額徴収について」(昭和五一年六月二九日保発第三七号各都道府県知事宛)により、従来の歯科領域における差額徴収にかかる通知を同年七月三一日限りすべて廃止したこと、右廃止の趣旨は、前記中医協答申の趣旨を基本方針としつつ、答申のうち、使用した歯科材料費の差額に限る差額徴収の実施は、所要の諸条件の整備を待つ必要があり、それまでの間は、当面従来の歯科領域における差額徴収にかかる通知を廃止することにあつたこと(昭和五一年七月二七日厚生省保発第四二号各都道府県知事宛保険局長通知「歯科領域における差額徴収について」)、また、右廃止に伴い、厚生省は、五一年管理官通知により、「歯科領域の差額徴収の廃止に伴い保険給付外の材料等による歯冠修復及び欠損補綴は保険給付外の治療となるが、この取扱いについては、当該治療を患者が希望した場合に限り、歯冠修復にあつては歯冠形成以降、欠損補綴にあつては補綴時診断以降を保険給付外の扱いとするものであること。」を通達し、これが後記差額徴収の限定的復活、特定療養費制度への移行という制度的変遷にもかかわらず、現在においても本件行政指導の内容を端的に示すものとして取り扱われていることが認められる。
(四) その後の差額徴収の取扱い
<証拠略>によれば、厚生省は、昭和五三年一月から施行された法改正による標準診療報酬の改定に伴い、同年二月一日から前歯部における鋳造歯冠修復について材料費に限り差額徴収の取扱いを復活させたこと(昭和五三年一月二八日保発第七号各都道府県知事宛、厚生省保険局長通知「歯科領域における差額徴収について」、及び同日保険発第一〇号各都道府県民生主管部(局)保険・国民健康保険課(部)長宛、厚生省保険局歯科医療管理官通知「歯科領域における差額徴収について」)、右の取扱いは、同年二月一日から前歯部の鋳造歯冠修復に際し、患者が希望して金合金及び白金加金を使用する場合に限り、その治療について患者が材料費の差額を負担することにより、保険給付を行うこととしたもので、同時に、差額徴収治療が適正に行われるよう、保険医療機関に対し、差額徴収治療に関するポスター等の掲示、患者に対する治療内容、負担金額等の事前の説明及び同意、領収書の発行につき十分指導を行うことが通達されたこと、更に、厚生省は、昭和五六年三月から施行された法改正による標準診療報酬の改定に伴い、同年六月一日から、歯冠継続歯についても、同様に材料差額徴収の対象としたこと(同年五月二九日保発第四一号各都道府県知事宛、厚生省保険局長通知「歯科領域における差額徴収について」)がそれぞれ認められる。
(五) 特定療養費制度の新設
その後、健康保険法等の一部を改正する法律(昭和五九年八月一四日法律第七七号)による法改正により、特定療養費制度が導入された。特定療養費が支給されるのは、被保険者が保険医療機関等において、療養の給付の対象とならない治療行為のうち、法四三条一項の「厚生大臣の定める療養」を受けた場合又は特定承認保険医療機関として都道府県知事の承認を受けた医療機関において高度先進医療等を受けた場合である(法四四条一項)。前者についての「厚生大臣の定め」(なお、法四三条の一四条第一項は、厚生大臣はこの定めをするについても中医協の諮問するものとすると規定している。)が「健康保険法第四十三条第一項及び国民健康保険法第三十六条第一項の規定に基づく厚生大臣の定める療養を定める件」(昭和五九年九月一二日厚生省告示第一四七号)であり、これにより、「特別の病室の提供」「前歯部の鋳造歯冠修復又は歯冠継続歯に使用する金合金又は白金加金の支給」が特定療養費の対象となつた<証拠略>。
特定療養費の額は、厚生大臣の定めるところにより算定した額の九割とされ(法四四条二項、昭和五九年改正法付則五条)、右の厚生大臣の定めである「健康保険法第四十四条第一項に規定する療養についての費用の額の算定方法」(昭和五九年九月一二日厚生省告示第一四八号)は、その費用の算定方法については点数表の例によるとし、前歯部の鋳造歯冠修復又は歯冠継続歯に金合金又は白金加金を使用したときは、歯科鋳造用金銀パラジウム合金を使用したものとみなすこととされた<証拠略>。
(六) 特定療養費制度新設の趣旨
<証拠略>によれば、保険医療機関等における特定療養費制度新設の趣旨は、従来、通達等に基づく運用により行われていた室料及び歯科材料の差額徴収につき、これを特定療養費として法定して、法令上明確に位置付け、適正な規制の下に実施することとしたものであつた(「健康保険法等の一部を改正する法律等の施行について(昭和五九年九月二二日保発第八七号・庁保発第二二号各都道府県知事宛厚生省保険局長・社会保険庁医療保険部長連名通知)」1の第三の1)ことが認められる。法四四条一項は、「特定療養費として其の療養に要したる費用」を被保険者に支給するものとして、形式上は、現物給付たる「療養の給付」の原則(法四三条)に対する例外をなす金銭給付の建前をとつている。しかし、法四四条三項は、「特定療養費として被保険者に対し支給すべき額の限度に於て被保険者に代り」保険医療機関などに対し「之を支払うことを得」と定め、これを受けた法施行規則四六条(なお、療担規則五条二項参照)は更に進んで、被保険者に支給すべき特定療養費は保険医療機関などに対し「支払うものとする」旨規定している。そして特定療養費に関する費用の算定方法については、前認定のとおり点数表の例により、保険の給付の対象となる材料を使用したものとみなすこととされている。したがつて、特定療養費制度は、金銭給付の建前をとつてはいるものの、患者側からみれば一部負担金と差額分さえ支払えば一貫した診療を受けることができ、医療機関においても保険者から支払いを受ける金銭が診療報酬か特定療養費の代位弁済の受領かの違いはあれ、いずれも保険者から支払いを受けることができるという意味で、実質的には現物給付としての療養の給付制度の給付形態と変わりはないのである。この意味でも、特定療養費制度は、療養の給付の枠内で認められていた差額徴収の取扱いに代わるものと解せられるのであり、現行法四三条一項及び四四条の解釈上、特定療養費の対象となる療養として厚生大臣の定めがある場合のほかは、差額徴収の取扱いは認められないというべきである。
(七) 特定療養費制度新設に伴う療担規則の改正
療担規則五条の二(その後の改正により五条の三に繰下)において、特定療養費制度の対象となる療養を行おうとする保険医療機関は、あらかじめ、患者に対しその内容及び費用に関して説明を行い、その同意を得なければならず、また、その療養の内容及び費用に関する事項を見やすい場所に掲示しなければならない旨を新たに定めた。これは、昭和五三年当時差額徴収の取扱いの限定的復活の際、厚生省から各都道府県宛発せられた前記指導通知と同趣旨のものである。
更に、一八条の特殊な療法等の禁止規定につき、但書に「特定承認保険医療機関において行う第五条の二第二項に規定する厚生大臣の承認を受けた療養については、この限りでない。」との定めが、一九条二項の厚生大臣の定める歯科材料以外の歯科材料の使用禁止規定につき、同条二項但書に「別に厚生大臣が定める場合においては、この限りでない」との定めが、同条三項に「保険医が特定承認保険医療機関において行う第五条の二第二項に規定する厚生大臣の承認を受けた療養については、第二項の規定は適用しない。」との定めが新設された。
療担規則一九条二項但書の厚生大臣の定めが、昭和五九年九月一二日厚生省告示第一四九号である。同告示は、療担規則一九条二項但書が適用される場合として、「金合金又は白金加金を前歯部の鋳造歯冠修復又は歯冠継続歯に使用する場合」と定めている。
(八) その後の特定療養費制度の拡充
本件歯科治療が行われた後において、法四三条一項の規定に基づく厚生大臣の定める療養に関し、昭和六三年三月一九日厚生省告示第五四号により、昭和五九年九月一二日厚生省告示第一四七号の一部が改正され、同年四月一日より、大学病院等における初診、特別注文食品を含む給食の提供が新たに追加され、特定療養費制度の対象が拡大した(<証拠略>)。
また、昭和六三年三月一九日厚生省令第一〇号による療担規則の一部改正により、療担規則五条の三第一項において、保険医療機関又は特定承認保険医療機関が特定療養費の支給の対象となる療養を行うに当たり、「その種類及び内容に応じて厚生大臣の定める基準に従わなければならない」と定め、右の厚生大臣の定めである「特定療養費に係る療養の基準」(昭和六三年三月一九日厚生省告示第五三号)は、特別の病室の提供、大学病院における初診及び特別の注文食品を含む給食の提供に関する基準を定めている(<証拠略>)。
3 「療養の給付」の範囲と本件行政指導
(一) 問題の所在と本件行政指導の考え方
前記認定のとおり、健康保険法は保険給付の一つとして「療養の給付」を規定しているところ、本件歯科治療のうち、これに用いた金属義歯床の材料料が「療養の給付」の対象とならないことは当事者間に争いがない。しかし、これを除くその余の前記各治療行為はレジン床使用の場合と同様に「療養の給付」の対象となるのか、あるいは、本件歯科治療中に保険給付外の材料を用いたが故に他のすべての治療行為も保険給付外となるのかについては、もとより法には具体的な定めはなく、法の委任を受けた療担規則(一二条、一三条、一九条、二一条等)及び点数表上にもこれを明示した規定はないから、右の問題は、法が定める「療養の給付」の範囲、内容をどのようにとらえるかにかかるものといえる。
ところで、被告は、法に定める「療養の給付」は「傷病の治癒を目的とした一連の医療行為」としての現物給付であり(被告の主張1の(一)、(二)及び(五))、法及び療担規則は右の「一連の医療行為」に自由診療と保険診療の混在することを禁じており(同1の(四)及び(五))、本件行政指導は右解釈に基づくもので、昭和五一年管理官通知は、右の考え方を具体的に示したものである旨主張するところ、右管理官通知(<証拠略>)は、本件歯科治療のような保険給付外材料による欠損補綴について、点数表上、欠損補綴を構成する各医療行為の冒頭段階に当たることが弁論の全趣旨から明らかな補綴時診断以降の医療行為をすべて保険給付外の自由診療の扱いとしていることからみても、被告(厚生省)は、右管理官通知の前提として、「一連の医療行為」、「混合診療禁止」の考え方をとつているものと認められる。
(二) 「混合診療禁止」の考え方の適否
そこで、以下「一連の医療行為」及び「混合診療禁止」の考え方について検討する。
まず、法が定める「療養の給付」は、前記認定のとおり療養自体が給付されるいわゆる現物給付である。そして法が「療養の給付」として保険医に療担規則の定めるところにより「診療」を担当させる旨規定し(法四三条の四第一項、なお法四三条の六)、療担規則においては、歯科診療の具体的方針として、診察、投薬、注射、手術及び処置、歯冠修復及び欠損補綴等の診療行為の一定の単位ごとにその方針を示し、点数表の構成も概ね右療担規則の単位に従つて定められているのみならず、<証拠略>によれば、歯科領域において点数表上現在のような細分化された算定区分が設けられたのは昭和四二年改正以降のことであり、それは、それまで一連の医療行為を一括算定する方式がとられていたのを、評価の適正を期するため医療側の要請を受けて改めたに過ぎないと認められることなどからすれば、法は、「療養の給付」として給付される療養がある程度のまとまりを持つた医療行為であることを予定しているということができる。
しかし、「療養の給付」として給付される療養が、被告の主張するように「傷病の治癒を目的とした一連の医療行為」であることを定めた明文の規定は、法にも、法の委任を受けた療担規則にも存しない。また、混合診療禁止の考え方についても、このことを直截に定めた明文の規定は、法にも療担規則にも存しない。
療担規則一八条、一九条の禁止規定は、文理上、禁止される「特殊な療法又は新しい療法等」「厚生大臣の定める医薬品以外の医薬品」「厚生大臣の定める歯科材料以外の歯科材料」が療養の給付の対象とならないことを規定するにとどまり、これと一連のものではあるが療養の給付の対象となる医療行為と同視できるものについてまでも療養の給付の対象外とする趣旨は含んでいないと解釈することも不可能ではない。現に、前認定のとおり、差額徴収を認めていた時代にあつては、法の建前上これを「療養の給付」の範疇で理解するほかはないところ、そこでは一連の医療行為の中に、保険診療と保険給付外診療が混在することにならざるを得なかつたのであり、また後記認定の即日充填処置の取扱いが認められていることに照らしても、「一連の医療行為」及び「混合診療禁止」の考え方は、絶対的なものでは必ずしもないということもできる。
したがつて、右のような見解に立脚すれば、健康保険制度運用の技術上も、点数表の別表の各算定区分に掲げられる診療行為等が「療養の給付」の単位であるとして、例えば本件歯科治療のような金属床義歯による欠損補綴の場合については、これを構成する義歯床の材料を除く各診療行為につき、前記三において認定したとおり、あえて対応関係のある点数表の別表の各算定区分に掲げられる診療行為等と同じであると見て、「療養の給付」の対象とすることも論理上は可能であろう。
しかしながら、法及び療担規則上、混合診療が明示的に禁止されていないことから、また文理上及び論理上の解釈から、直ちに法及びその委任に基づく療担規則がこれを許容していると解することは相当ではない。けだし、健康保険制度が「療養の給付」の範囲、内容をどのように定めるかは、その性質上専門的、技術的性格が強いのみならず、時の医療水準及び患者側、医療担当側、支払側それぞれのニーズと負担等を総合した時代の要請に即応した合目的的、政策的判断が要請されるのであり、その故にこそ、前記認定のとおり、法は「療養の給付」について概括的に規定するのみで、その具体的内容については、重要事項について中医協への諮問を必要的としつつ、あげてこれを行政庁の定めるところに委任し(法四三条の四第一項、四三条の六第一項、四三条の九第二項、四四条等)、行政庁の命令、定めによる補充を予定しているのみならず、現に、前記認定のとおり「療養の給付」の範囲の定めに係わる差額徴収の取扱い及び特定療養費制度新設についても中医協の答申、建議に基づく幾多の変遷があるのであるから、本件において「療養の給付」の範囲、「混合診療禁止」の考え方の適否を判断するに当たつては、これら法の趣旨及び目的、健康保険制度の沿革、立法の経緯等をも含めて総合的に考察しなければならないからである。
そこで、右の観点から検討するに、当裁判所は、原告が本件歯科治療を受けた昭和六〇年一〇月当時の法、療担規則、点数表等に基づく健康保険制度の下では、欠損補綴の治療行為に保険給付外の金属床を用いた以上、欠損補綴を構成する治療行為はすべて「療養の給付」の対象とならず、その理由としてとられている「混合診療禁止」の解釈は、健康保険法及び療担規則の解釈として正当なものであり、かつ、法の委任を受けて厚生大臣が「療養の給付」の具体的内容を定めるにつき、「傷病の治癒を目的とした一連の医療行為」をその単位として定めることは、現行健康保険法の趣旨に適合するものであり、厚生大臣において前記混合診療禁止の解釈及び「一連の医療行為」という考え方に基づいてした本件行政指導は適法なものであると判断する。
その理由は、以下のとおりである。
(1) 特定療養費制度の新設と混合診療の禁止
昭和五九年の法の改正による特定療養費制度新設の趣旨は、前記四2において認定したとおり、昭和三〇年に始まつた歯科領域における差額徴収の取扱いの弊害が社会問題化したことから昭和五一年にこれが一旦廃止となつたこと及び昭和五三年以降に復活した差額徴収の取扱いが、従前の反省に立ち、材料差額に限り、かつ、差額徴収治療が適正に行われるよう行政指導を行うこととされていたこと等の事情を背景として、通達等に基づく運用により行われていた従来の差額徴収の取扱いに代えて、特定療養費として給付形態上あえて「療養の給付」の対象から除外し金銭給付の形式をとりつつ、健康保険法上明確に位置づけ、適正な規制の下に運用しようというものであつたということができる。
そして、従前の差額徴収制度及び現行の特定療養費制度は、実質的に見れば、一種の保険診療と自由診療とが混在する形態ということができるところ、前記認定の差額徴収治療の沿革及び特定療養費制度新設の趣旨、特に、現行の特定療養費制度は、その対象が健康保険法上、中医協に諮問の上で厚生大臣が定める療養に限定され、健康保険法、療担規則に基づき従前の差額徴収制度の弊害が生じないように適正な運用が図られるようになつたことに鑑みれば、右特定療養費制度新設後の健康保険法の解釈としては、保険診療と自由診療との混在する混合診療は、特定療養費の支給の対象となる療養に限られると解するのが相当であり、混合診療を、従前の差額徴収制度の弊害を生じさせないような仕組みのない、一般の「療養の給付」の対象となる療養についてまで広く認めてはいないと解すべきである。
原告は、もとよりレジン床相当の材料料が給付されるべきことを主張しているものではなく、その意味で特定療養費制度が欠損補綴における金属床使用の場合にまで及んでいないことが不当であると主張しているわけではないことは明らかである。しかし、右のとおり、特定療養費制度の新設は、その反面において「療養の給付」の対象を画するについても、影響を及ぼすものというべきである。法の特定療養費制度の新設を受けて新設された療担規則一九条二項但書(一八条但書及び一九条三項についても同旨)も、原告が主張するように混合診療許容を前提として特定療養費の対象となる場合にのみ保険給付外(使用禁止)の歯科材料の使用禁止を解除したものと解するのは相当でなくむしろ混合診療禁止の考え方を前提として、実質的には混合診療の形となる特定療養費支給の対象となる(すなわち「療養の給付」の対象外の)診療行為について、特定材料の使用禁止を解除する必要があつたためと解するのが素直であろう。
(2) 健康保険制度の目的と混合診療の禁止
健康保険制度は、社会保障制度の一つとして、疾病、負傷等の保険事故に対し、保険料による患者側負担分と国庫負担分を財源として保険給付をなし、国民の生活安定に寄与することを目的とする。したがつて、給付水準の維持、向上と給付の公平を図ることは、健康保険制度の重要な理念であるというべきところ、これを実現するための給付の形態、内容には種々の選択があり得ることは見易い道理である。現行健康保険法が採用した原則的給付形態は「療養の給付」であり、医療サービスそのものの現物給付であるから、これを前提として給付水準の維持、向上と給付の公平を図るためには、「療養の給付」の対象となる療養を規格化、標準化、定型化してこれをあまねく実施し、健康保険財政の安定を図りつつ「療養の給付」そのものの水準を上げてゆくとともに、右の標準的な給付の対象とすることはできないが国民的需要の高い医療については、別途、特定療養費制度等により補充してゆくほかはない。その場合、混合診療は、それ自体健康保険制度の目的と絶対に相容れないものとまではいえず、施策の選択の問題であるが、少なくとも特定療養費制度新設後は、それが法の目的を実現するために適当ではないものとして、法は、「療養の給付」の中での保険給付外診療との混在は認めないとの方針を明確にして採用したものと解せられる。
本件において、金属床を使用する限り、レジン床の場合とその外形上もしくは範疇上大差ないものと認められる医療行為を、すべて保険給付外とする本件行政指導に基づく取扱いは不公平であるとする原告の主張は理解できなくはないが、これを認めるとすれば、その限りで右の不公平感は解消されるとしても、前認定の差額徴収時代に見られたより大きい弊害を再び招く危険があり得る上、それによる費用の増加は、結局健康保険の財源に影響せざるを得ないことが明らかである。現行法は、これらを総合考量の上、法が自ら差額徴収の取扱いに代えて特定療養費制度を導入し、その対象範囲を行政庁の適切な裁量判断に委ねたものと解せられ、そうである以上、原告指摘のような局部的に不公平感を伴う扱いが生ずるとしてもやむを得ないといわざるを得ない。のみならず、法の委任を受けた行政庁(具体的には厚生大臣)は、健康保険行政を運用し、統括する行政主体として、前記中医協の審議、答申をふまえつつ、法の趣旨、目的に則り、「療養の給付」の範囲、内容、更には混合診療が禁止される「療養の給付」の対象となる療養の単位についての具体的な定めをなす権限を有するものと解すべきである。したがつて、行政庁の前記法の趣旨、目的を実現するために有効な方策として、規格化、標準化、定型化された「療養の給付」の内容を具体的に示すに当たり、「傷病の治癒を目的とした一連の医療行為」が一つのユニツトとして分断されることなく保険給付されるべきものとし、「混合診療」排除の法の解釈を具体的に示した本件行政指導は、法の目的に反するものとはいえず、むしろ、被保険者に一定水準の標準的な内容の医療を保障するという法の趣旨に沿うものと解すべきである。
(3) 点数表の定めと保険給付外診療
原告の請求は、本件歯科治療と点数表の別表の各算定区分に掲げられる診療行為との同一性を根拠としているところ、金属床を使用した本件歯科治療における治療行為は、義歯床の材料を除けば、レジン床使用を前提とする点数表別表の各算定区分と一応の対応関係があり、かつ、行為の外形上もしくは範疇上、各場合の治療行為に大差はないことは、前記三、1、2で認定したとおりである。
しかしながら、前認定の療担規則の趣旨、点数表の定め方及び<証拠略>によれば、点数表は、もともと標準的な現物給付としての「療養の給付」の対象となる療養の適正な金額的評価を直接の目的としているため、右のような外形的類似性にもかかわらず、前記三、2で認定した金属義歯床の製作技術、補綴時診断及び印象採得における微妙な技術評価の差を反映した点数設定にはなつていないことが認められる。また、<証拠略>によれば、保険医療機関側には、かねて点数表上の技術評価が低いとの不満がある上、金属義歯床等保険給付外の材料を使用した場合、他の医療行為部分を現行の点数設定のまま安易に保険給付の対象とし、患者に材料料のみの差額負担を求める取扱いには必ずしも賛同しないであろうことが窺えるのであり、その故にこそ、前記認定事実及び<証拠略>から認められるとおり、昭和五三年及び昭和五六年の材料差額徴収の取扱いの復活と拡大、並びに昭和五九年の特定療養費制度新設の際には、併せて中医協の審議、答申を経て標準診療報酬及び点数表の改定が行われたものと考えられる。したがつて、これらの点からも、点数表との対応関係や外形的類似性から直ちに材料料を除く本件治療行為を保険給付の対象とすべきものとする原告の主張には無理があるといわざるを得ない。
(4) 即日充填処置と混合診療の禁止
原告は、即日充填処置に金インレーを用いた場合、歯冠修復に保険診療と自由診療とが混在することが認められているから、混合診療禁止に根拠がない旨主張するので、最後にこの点につき判断する。
<証拠略>によれば、通常の金インレーを用いた充填の場合は、歯牙疾患の処置のみが保険診療となるが、即日充填処置に金インレーを用いた場合は、処置のほかに歯冠修復の一連の治療行為のうちの初めの段階で行われる歯冠形成も保険診療となり、それ以降(印象採得以降)の歯冠修復の治療行為が自由診療となること、これは、数日に分けるより、時間をかけても一日で治療を終えるほうが、患者にとつても、歯科医にとつても、便宜であるという政策的判断から、昭和四〇年代の半ばころから特別に点数設定がなされて行われているものであることが認められる。
前記のとおり、「療養の給付」の具体的内容については、健康保険法の委任により、その趣旨に則つて厚生大臣が定め得るものと解されるところ、通常は、医学的見地から「傷病の治癒を目的とした一連の医療行為」を「療養の給付」の単位として定めるが、例外的に、即日充填処置のように、患者及び担当医の便宜という特別の理由から政策的判断により医学上は二つのまとまりの行為である処置と歯冠修復にまたがつて「療養の給付」の単位を定めることも、前記委任の趣旨に反するものではないことは明らかである。
したがつて、右の即日充填処置が存在するからといつて直ちに混合診療が許容されているとはいえないことは明らかであつて、例外的な即日充填処置の存在を根拠に、一般的に混合診療も許されるとする原告の右主張は失当である。
(三) まとめ
以上のとおりであるから、本件行政指導は、前記混合診療禁止の法の解釈に基づき、行政庁が健康保険法の委任により、その趣旨に則つて、右解釈を欠損補綴という具体的治療行為に適用した結果の提示及びこれに基づく適法な指導であることは明らかであり、かつ、本件全証拠によつても、右の被告の行政指導に当たつてその権限の行使につき委ねられた裁量権を濫用し又は逸脱したような特段の事情は何ら見出すことができない。原告の主張は、帰するところ、健康保険法及びこれに基づく健康保険制度における政策の選択の当否の問題であつて、現行制度の下においては、その主張する本件歯科治療を「療養の給付」として受給することはできないといわざるを得ない。
五 結論
以上の認定、判断によれば、原告の不当利得返還請求については、被告の利得が法律上の原因に基づかないものといえず、また、損害賠償請求については、違法性の要件を欠くので、その余の点につき判断するまでもなく、本訴請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 荒井史男 安間雅夫 阪本勝)